2011年11月15日火曜日

BIG BANG BOOM Daryl Hall&John Oates

 このアルバムを手に取る以前、
その当時、ブリティッシュロックに勢いがあり
正直いうと、そのえんちょうでアメリカのポップス・ロックを
聴くようになっていた。
アルバム"BIG BANG BOOM"も数ある中の1枚だ。
このアルバム以前のダリルとホールのヒット曲や名曲などは、
だいぶ後になって知ることになってしまった。

強烈なビートから始まる"ダンス・オン・ユア・ニーズ"から
そのまま"アウト・オブ・タッチ"にながれこんでいく。
この曲は、ダリルとジョンの共作でありチャート1位を記録している。

"ゴーイング・スルー・ザ・モーションズ "
はぎれのよいリズムにテンションが上がってくる1曲だと思う。

"ポゼッション・オブセッション"
ジョン・オーツをフィーチャーしている。
のちのアポロシアターで行われたライブでは、エディ・ケンドリックと
デビィット・ラフィンを交えてこの曲を披露している。

ポップス、ロックなど
80年代にはいり環境が大きく変わり始める。
やはりいちばんはレコーディング技術の進歩だろう。
極端にいってしまえば、ミュージシャンがいなくてもエンジニアがいれば
音楽がつくれるようになった。

そして、機材にも影響をおよぼしていく。
CDプレーヤーの登場後、その数年後には、CDの販売枚数がLPを超えてしまう。

それとやはり、忘れてはならないのがMTVの登場だ。
MTV開始間もない頃、ブリティッシュロックの勢いがあったが
ある程度落ち着いてくると、自国のミュージシャンたちにきりかえていった。
いわば、アメリカンロックである。
ブルース・スプリング・スティーン、ヒューイルイス&ザ・ニュースなど。
ダリルホール&ジョンオーツもこの時期、活躍していくことになる。

また、『ラジオのオンエア状況も変わっていった。』と
のちにジョンオーツは語っている。
白人デュオでありながら、ブラックミュージック専門のラジオ局で
オンエアされたり、黒人ミュージシャンにカバーされたりと
アーティストとしては、稀有な存在だと思う。

話がそれたが、
"BIG BANG BOOM"は個人的に傑作だと思っている。
前回のアルバムから約2年を要したが、けしてファンの期待は裏切っていない。
いいアルバムだと思う。
ファンなら持っていても"まちがいない"1枚だ。

最後まで読んでくれてありがとう。

ここにきてくれてありがとう。

2011年11月14日月曜日

MUSIC FROM THE EDGE OF HEAVEN WHAM !

 ワム!の3枚目のアルバム。

そして、最後のアルバムでもある。

MUSIC FROM THE EDGE OF HEAVENWHAM !

解散までの数ヶ月、マスコミたちは、ふたりの関係をいろいろ書きたてていた。

しかし、ワム!が終わるのは、ふたりの関係のせいではない。
それを知ってもらうためには、アルバム、コンサートを成功させることだ、
と思っていたそうだ。
そのことが、当時のジョージをかりたてていた。

"The Edge Of Heaven"
"イェ イェ イェ・・・"のフレーズとホーンセクションの印象が
強く耳にのこるオープニングナンバーだ。

"A Different Corner"
『この曲は、いつも特別だった。自分の感情、経験を曲にいかして使っている。
この曲は、ケアレスウィスパーよりはるかにリアルになった。』
と、後にジョージは語っている。

"Battlestations"
いままでのワム!にはなかった、新しい雰囲気を感じる曲。

"Where Did You Heart Go"
WAS (NOT WAS)のカバー。
オリジナル曲を知っている人は、かなりビックリすると思います。
このワム!のカバー、バラードしすぎていると思うのだが・・・・・
オリジナル曲の方は、アルバム WAS (NOT WAS)に収録されている。

"Last Christmas"
この曲は、ジョージの両親の家で、アンドリューがTVを観ている間に
書かれたそうだ。
チャートの方はというと、当時"Do They Know It's Christmas"におさえられ
1位にはなれなかった。
またこの曲の印税は、エチオピアの飢饉救済活動に寄付されている。

そしてワム!の活動は、1986年6月28日、ロンドン ウェンブリースタジアム
での解散コンサートを最後に終止符をうっている。

3年という短い期間だった。

アルバム"MUSIC FROM THE EDGE OF HEAVEN"

ワム!の最後の1枚です。

最後まで読んでくれてありがとう。

ここにきてくれてありがとう。

2011年11月13日日曜日

MAKE IT BIG WHAM !

 ワム!のセカンドアルバム。

ファーストアルバム”ファンタスティック”のディスコな雰囲気
とは異なり、それはポップなアルバムに仕上げられていた。

"MAKE IT BIG"

まさに大成功したアルバムだ。

"Wake Me Up Before You Go Go"
ホーンセクションがいい味付けをしている。
母国イギリスで初のNo.1となり、
他の国々でもチャートトップにかがやいている。

しかし、それとはうらはらにジャーナリストたちには、
批判が多かったようだ。

『アイドルになりさがった』とか・・・(笑)

しかし、ジョージいわく、
『スターになった人間が、
ストリートキッズの気持ちを代弁するのはウソっぽい。
だから、デビュー初期のイメージを捨てなければならない』と。

"Everything She Wants"
あまり上手くいっていない結婚生活がテーマに書かれている。
雰囲気が暗い曲だが、傑作曲のひとつである。
ジョージとアンドリューは、この曲の印税をエチオピアの
飢饉救済活動に寄付をしている。

"Heart Beat"
間奏部分の音づくりが印象的。

"Like A Baby"
アコースティックギターのサウンドがたまらない。
すばらしいバラードだ。

"Freedom"
ホーンセクションのアクセントがいい。
いつまでも耳に残っている。

"If You Were There"
オリジナルではない。
アイズレーブラザースの作品のカバー。

"Credit Card Baby"
パーカッション、オルガンなどのかくし味がいい。

"Careless Whisper"
ロングバージョンが聴けるのは、おそらくこのアルバムのみ
ではないだろうか。
この曲は、ジョージマイケルの名前を世界中に広めることとなった。
イギリス、アメリカ、日本はもちろん、ヨーロッパ、南米など・・・
数カ国でNo.1になっている。
そして、イギリスの作曲作家アカデミーはその年の最優秀ソングライターに
ジョージをえらんでいる。
キーボードから始まるメロディーの良さ、ムーディーなサックス。
サックスのメロディーはいつまでも耳に残る。
忘れるメロディーではないはずだ。

このアルバム"MAKE IT BIG"  WHAM !
収録曲が8曲と少ないが、良質なアルバムだといってもいい。
楽しめる1枚です。

最後まで読んでくれてありがとう。

ここにきてくれてありがとう。

2011年8月23日火曜日

LISTEN WITHOUT PREJUDICE Volume One George Michael

大成功をおさめたアルバム、"FAITH"
MTVからの賞、グラミーでの賞など、数々の栄冠に輝いた。

この成功には、ジョージマイケル本人も安堵したことだろう。

つかの間の休暇のあと、再びジョージはスタジオにもどった。

次のアルバムは、2枚組になるとかならないとか、2枚別々のアルバムになるとか、
当時はいろいろいわれていたのだが・・・・・

"FAITH"から3年後、"LISTEN WITHOUT PREJUDICE Volume One"発表。

"PRAYING FOR TIME" 重厚感にあふれている。
ワム時代のアイドル的イメージは、そこには全くなく、
ソロアーティストとしての”ジョージマイケル”を感じずにはいられなかった。

作品は、ミディアムからスローな曲で占められている。

"FREEDOM 90"や"THEY WON'T GO WHEN I GO"
ゴスペル調のコーラスがいい。
そして、ボーカルの力強さが前面に出ている。

"COWBOYS AND ANGELS"
前作、"KISSING A FOOL"と同様ジャジーな曲だが、
さらに磨きがかかっているように感じた。

個人的には、"KISSING A FOOL"の方が好きなんだが・・・・・

当時、ジョージマイケルいわく、このソロ第2弾のアルバムについて、
”最高のものをつくりあげたと思う”と語っていた。
このアルバムについては、彼自身もじゅうぶんに満足のいく作品に仕上がったと、
納得だったに違いない。

しかし、前作ほどのセールスには至らなかった。
商業的なことでトラブルとなったのか、当時のレーベル会社に対し
契約無効を訴える裁判を起こしている。
そしてこの裁判はドロ沼化した。

これにより、次回以降のアルバムなどの発売がなくなってしまった。(当時の話)

それ以後のジョージの状況は、語りたくないことの方が多い。
あえてふれないでおく。

話をもどして、このアルバム"LISTEN WITHOUT PREJUDICE Volume One"
今現在、ジョージがどうであれアルバム自体はいいと思います。

前作と比べて、厚みを増しているというか深みを感じるというか・・・
そういう1枚だと思います。

最後まで読んでくれてありがとう。

ここにきてくれてありがとう。

2011年8月22日月曜日

FAITH George Michael

 ジョージマイケル。(George Michael)

アルバムFAITHは、ワム解散後の彼の1stソロアルバムである。

このアルバムは、大成功をおさめた。

1988年、アメリカで最も売れたアルバムになった。
そして、翌年のグラミー賞では、アルバム・オブ・ザ・イヤーを獲得している。

ワム時代は、むしろアイドル的な部分が目立っていたが、
アーティストとして、またメロディメーカーとしてもクオリティが高く、
素晴らしい成長をとげている。

このアルバムは傑作といっていい。

このアルバム"FAITH"。
全曲ともジョージ自身がプロデュースしている。
ソングライティングに関しても共作しているのは、1曲のみ。

アルバムタイトルの"FAITH"
ライトなボディドリー風とでもいえばいいのか・・・
それにしてもカッコよく決めている。
特に間奏のギターを聴いてほしい。
ちなみにボディドリーというのは黒人シンガー。ギタリストでもあり
ロックンロールの生みの親のひとりでもある。
2008年に亡くなっているが、
彼に影響をうけたミュージシャンは数多い。

"ONE MORE TRY"
1日でつくったバラードらしい。
ちなみにこの曲は、ヴァージン移籍後、初のリリースディスク
”ジーザス・トゥ・ア・チャイルド”のシングルの中で
ゴスペルバージョンとしても収録されている。

"KISSING A FOOL"
実はかなり前に書かれていたそうだ。
もともとはアルバムタイトル曲になるはずだったらしい。
しかし、ジャジーな曲をこれだけカッコよくまとめることができる
彼の音楽性の豊かさには、脱帽です。
これは名曲といってもいいと思う。

また彼は、ソロになり自由に創作できるという自由さを手に入れたからであろう、
当時ジョージは、『今までは、自分たちについているイメージに多少なりとも
しばられていて、それにそって曲を創っていたけれど、今はとても自由だ』
と語っていた。

しかし、彼の私生活はというと・・・・・
ちょいちょい警察のお世話になったり、刑務所に入ったり・・・・・
ジョージマイケルのファンでいることは、少々つらいところがある。

まぁ、今現在のジョージの状況はさておき、
アルバム"FAITH"。いいアルバムであることは間違いない。

”グー”な1枚だと思います。

最後まで読んでくれてありがとう。

ここにきてくれてありがとう。


2011年7月15日金曜日

The Hobo King Band

 佐野元春さんの新しいバンド、The Hobo King Band

レコーディングセッションの中からたんじょうしたバンドであり、
それぞれがじゅうぶんなキャリアを持ったミュージシャンの集まりでもある。

しかし、新しいバンドH・K・B(最初の頃はInternational Hobo King Band)は、
相当なプレッシャーがあったにちがいない。
あのハートランドのあとに佐野さんのバックをつとめるのは容易ではない。

結成当時のメンバーは、小田原豊、西本明、佐橋佳幸、井上富雄、Dr.kyOn、
の5人。前にも述べたが、2001年からはドラム担当は、古田たかしに
かわっている。

またツアーでは、スカパラホーンズやセクストンシスターズの力を借り、
ステージをこなしていった。

しかし、"FRUITS TOUR"でのバンドサウンドは、素晴らしいものがあった。
バニティーファクトリー、コンプリケーションシェイクダウンなど、
過去の曲からアルバム"FRUITS"収録曲まで、新しいH・K・Bアレンジでの
ライブパフォーマンスは、はやくも進化しているといってもいい。

そして、このバンドとの初のレコーディングセッション、
ファーストアルバムとなる"THE BARN"。

さらに、"THE BARN TOUR","Stones and Eggs Tour",
"The 20th Anniversary Tour"・・・・・

ニューアルバムのレコーディングの合間に行われた"Rock&Soul Review"
ファンクラブ限定ライブ"Plug&Play’02"では、セミアンプラグドのライブ。
"Visitors"からの曲を主にした"Milk Jam Tour"・・・"The Sun Tour"・・・・・

H・K・Bとしてのキャリアを積み重ねていくたび、
力強く、そして密度の濃い演奏をくりひろげていく。

常に佐野さんとH・K・Bとの新しい音、新しいチャレンジを探しながら。

去年、佐野さんは30周年を迎え、H・K・Bとともに
"30th Anniversary Tour"を行っている。
このツアーは、今年6月に行われた振替公演を最後に終了している。

まだまだ走り続けている佐野さんとホーボーキングバンド。
これからもどんな音、どんなチャレンジをみせてくれるのか、
たのしみである。

最後まで読んでくれてありがとう。

ここにきてくれてありがとう。

2011年7月11日月曜日

FRUITS 佐野元春。

 ハートランド解散後、佐野さんはさまざまなミュージシャンたちと
セッションをくりかえしていた。

ある意味自由ではあるが、佐野さん自身と一心同体であった
ハートランドメンバーがいなくなった今、自分のつくりたい音楽に対して、
どう具現化していけばいいのか?
問題も多々あったと思われる。

1年以上、レコーディングを続けていた。

なんとか17曲ピックアップし、アルバム"FRUITS"としてまとめあげた。

レコーディングセッションには、小田原豊、Dr.kyOn、井上富雄、佐橋佳幸、
スカパラホーンズなど、
のちのザ・ホーボーキングバンドにつながるメンバーになっている。

なお、小田原さんは、2000年までH・K・Bに在籍し、
2001年からは古田たかしと交代した。

このアルバム"フルーツ"には、いろんなタイプの曲がふくまれている。
言いかえればこのアルバムは、いろいろな発想にあふれている。
本来の佐野さんが、ここにはあるようにも思える。

”楽しい時”などは、大編成バンドで奏でられている。
その音は、実ににぎやかで楽しい。

”水上バスに乗って”では、演奏を"PLAGUES"が担当している。

そして最後の曲、”フルーツ”ではポエトリーリーディングでしめくくっている。

また、このアルバムではストリングスが本格的に導入されており、
ロックンロールからポエトリーリーディング、サイケデリックなど
佐野さんの新しい多彩な世界を感じることができるアルバムだと思う。

佐野元春さんの ”新たな” 1枚です。

最後まで読んでくれてありがとう。

ここにきてくれてありがとう。

2011年7月10日日曜日

BORDER - A tribute to MOTOHARU SANO -

 佐野元春に対するリスペクトから生まれたこのアルバム、

BORDER A tribute to MOTOHARU SANO

トリビュートを企画したのは、佐藤奈々子(nanaco)。
彼女は、プロデュース、そしてアーティスト、レーベル探し、制作まで
すべてをひとりでこなしている。

佐藤奈々子(nanaco)。

ある大学の学園祭。
そこで、佐野さんとnanacoは出会っている。

のちに音楽活動をともにするようになる。
やがてオリジナルをつくるようになり、最初の共作曲がコンテストで
賞を受賞し、それをきっかけに奈々子は、デビューをすすめられる。

そして77年。nanacoのファーストアルバム、"Funny Walkin' "がリリースされた。

佐野さんとnanacoは共作曲を多くてがけている。
かなり最近になって知ったのだが、後藤次利がベースとして
レコーディングメンバーに加わっていた。

少し話がそれたが、このアルバムBORDERは、10組のアーティストで
構成されている。

nanaco自らカヴァーしている ”99ブルース”。

そして、ハートランドの3代目ギタリストだった長田進と
ベースの根岸孝旨のバンド、DR.STRANGE LOVEは
ストレンジデイズをカヴァーしている。
ドラムは、現 H・K・Bメンバー古田たかしが担当している。
彼は、DR.STRANGE LOVEに参加していたが、97年に脱退している。

PLAGUESは、”空よりも高く”をカヴァー。
ボーカルの深沼さんは、FRUITS TOURでのステージで
佐野さんと共演している。(”水上バスに乗って”を共演)

BORDER A tribute to MOTOHARU SANO

佐野さんの音楽を知っている人は、このアルバムを聴くと
”おっ、こういうのもたまにはいいな。”と
必ずおもってもらえると思います。

”あり” な1枚です。

最後まで読んでくれてありがとう。

ここにきてくれてありがとう。

2011年7月8日金曜日

mf VARIOUS ARTISTS Vol 1 produced by MOTO 'Lion' SANO

 このCDを持っている人はラッキーだと思う。

佐野さんは、ラジオ番組で毎週1組のペースでアーティストの
楽曲をプロデュースし、番組で紹介していた。

当時、制作した曲はシングル盤としてリスナーにプレゼントしていた。
そして番組終了後、アルバムとして全15曲を収録し、
"mf VARIOUS ARTISTS Vol 1"として発表した。

11組のアーティストが参加している。

東京Be-Bop(ダディ柴田、ボーン助谷、石垣三十郎)
西本明のエスパシオ、古田たかしのジュゴン、阿部吉剛、
のちにホーボーキングバンド(H・K・B)のギタリストとなる佐橋佳幸
など。

Heartlandのメンバーが目立っているが、
イーストエンダース、石渡長門、藤森かつお、チャーティーボーイズなど。
なかには初めて耳にするアーティストたちもいる。

”ストリートミーティング♯13”を演奏しているThe Tokyo Be-Bop。
佐野さんのバックでホーンセクションとして演奏していた三人組だ。

スーパーダイナマイトサキソフォン、ダディ柴田。
その柴田さんに誘われたのが石垣三十郎。そしてボーン助谷とともに
The Tokyo Be-Bop結成。
他のアーティストらのレコーディングにも3人で参加している。

西本明。 このアルバムの中では、7曲めの”華”のみプロデュースしている。
一時期、不参加の時があったもののHeartlandだけでなく、H・K・Bにも
99年まで在籍していた。キーボードプレイヤーである。

阿部吉剛。ご存知、スウィートベイビーアベちゃんである。
このアルバムでは、ソロで2曲収録している。
彼は、キーボードプレイヤーだがギタリストでもある。
『カフェボヘミアのテーマ』ではギターを弾いている。

西本明、阿部吉剛の両氏は、アレンジャー、プロデューサーとしても
活動している。

古田たかし。Heartlandではドラマーとして参加。
誰もが認める最強ドラマーだ。
このアルバムではジュゴンとして、ボーカルもつとめている。
ハートランド解散後、2001年からH・K・Bのドラマー
としても参加している。

佐橋佳幸。音楽好きならこの人を知らない人はいないだろう。
ギタリストとしても、ソングライター、そしてプロデューサー
としても活躍。
佐橋さんは中学生の頃、当時大学生だった佐野さんと出会っている。
のちにH・K・Bにギタリストとして参加。
大物アーティストからの信頼も厚い。
また、ソロアルバムも発表している。

mf VARIOUS ARTISTS Vol 1

若手バンドや初めて耳にするアーティストたち。
そして有名なアーティストたちも参加しているこのアルバム。

限定盤だったゆえに今は中古でしか手に入らないが、
ファンならぜひ聴いておきたい、また持っておきたい1枚だ。

価値のある1枚です。

最後まで読んでくれてありがとう。

ここにきてくれてありがとう。

2011年7月4日月曜日

They called the band ”The Heartland”

 それは、1980年。

佐野元春をサポートするためにバンドが結成された。

結成当時、固定されたメンバーはいなかった。
結成直前、佐野さんはサックスプレイヤーをさがしていた。
諦めかけていたところ、友人からの紹介で柴田光久と出会う。
ダディ柴田である。

当時のバンドといえば、ギター、ベース、ドラム、キーボード
というのが定番であり、サックスが加わるというのは珍しかった。

しかし、絶対欠かせない存在であった。
佐野さんは、柴田さんを強引に口説き落としたらしい。

そして、バンド名も結成して数ヶ月は名前がなかったらしい。

しかし、ファーストアルバムでアレンジャーを務めた伊藤銀次を
ギタリストにむかえ、高校、大学とバンド仲間だった小野田清文、
小学生の時には、すでにドラムを叩いていたという古田たかし。
彼らが参加することで、徐々にバンドらしいまとまりがでてきた。

ちなみに、初期メンバーの中でもっとも早くから参加していたのは
阿部吉剛だったらしい。

最初のツアー、Welcome to the Heartland Tour では
阿部さん、銀次さん、小野田さん、古田さん、柴田さん、の5人。
その後、西本明が加わった。

"The Heartland"
このバンドのチームワークはすばらしい。
佐野さんとバンドとが一体化して、熱狂的なパフォーマンスを
てんかいしていくその様は、ステージを観たことがあるファンならば
くわしい説明はいらないだろう。

その後、ソロデビューのため脱退した銀次さんにかわり
横内タケや長田進がギターとして参加。パーカッションに里村美和。
ボーン助谷、石垣三十郎らも参加。
最強のバンドへと進化していく。

そして、ハートランド結成から14年。
やれることは全てやりつくしてしまった。佐野さんは解散を口にした。
それは、ザ サークルツアーの途中だった。

10万人を動員したこのザ サークルツアー終了から5ヶ月後の
94年9月15日、ハートランドとのファイナルライブ"LAND HO !"
が開催された。

そして佐野さんは、"The Heartland"との最後の夜をファンとともに楽しんだ。

その夜の闇は優しかったにちがいない。

最後まで読んでくれてありがとう。

ここにきてくれてありがとう。

2011年7月3日日曜日

The Circle 佐野元春 with The Heartland

 佐野元春さんとハートランドとの最後のレコーディングアルバム。

"The Circle"

暗い印象をうけるこのアルバムだが、
佐野さんのしせいは、常にポジティブであるにちがいない。

濃厚でからみつくようなギターで始まる”欲望”
バックコーラスも映えている。

”彼女の隣人”
この曲でも女性コーラスが曲にあつみをあたえている。

ある意味、ひとつの到達点に達したといっても過言ではない
曲の数々が、ここにはあるように思える。

また、"The Circle Tour"では、全国10万人の動員を記録。
ツアーを日本武道館でしめくくった。

そして、”ザ・サークルツアー”に出て数ヶ月がすぎた頃、
ザ・ハートランドの解散が決定された。

『解散は自然な流れであり、それをきり出すのは僕の役目だった。』
と佐野さんは語っている。

このメンバーで、もうこれ以上のピークはつくれないだろう。
やれることは全てやりとげてしまった。
メンバーひとりひとりもそれをかんじている。
口にださずともわかってしまう、と。

話はそれるが、佐野さんとハートランドは
アフリカ難民救済のための資金寄付、エイズ関連のチャリティーライブ、
アクト アゲンスト エイズ(AAA)の参加など、多岐にわたり
社会貢献にも取り組んできた。
これは一個人として、また社会の一員としての行動でもあった。

話を元に戻そう。
そして、94年9月15日
横浜スタジアムで、佐野さんとハートランドとの最後をかざる
ワンナイト、『LAND HO!』が開催された。

佐野さんにとって、けして欠かすことのできなかった存在。
"The Heartland"

その音楽性は、ロック ファンク ソウル ジャズまで幅広く
佐野さんの求める音楽に多大な貢献をしている。

"LAND HO!"
このステージでの雰囲気は、暗いものではなかった。
走りまわり、とび、さけび、はねる佐野さんにファンたちももりあがる。 

まさに、『このすばらしい横浜の夜』のフレーズにふさわしい
ワンナイトだったにちがいない。

そしてザ ハートランド、
まさにロックオーケストラといっても過言ではない。
日本のロック史に無視できない軌跡を残している。

"The Circle"
佐野元春 with The Heartland

無視できない1枚です。

最後まで読んでくれてありがとう。

ここにきてくれてありがとう。

Time Out ! 佐野元春 with The Heartland

 このアルバムは、”Cafe Bohemia”につづいての
ハートランドとのコラボレーションアルバムである。

Time Out !

”ぼくは大人になった”
思えば、『つまらない大人にはなりたくない』と叫んだデビュー当時。
それから10年たち、『ぼくは大人になった』・・・・・と。

このアルバムを手にとったとき、ファンであるがゆえ
あたりまえのように期待していたのだが、
正直、本気で聴いた覚えがない。

いちファンとして、いままで感じてきた”佐野元春”を感じなかった。
”ガツン”となにかを放つものが感じられなかった。

いま、あらためて聴いてみる。

佐野さんが年月を重ねてきたように、われわれファンもまた、
年月を重ね、”大人になった”のだろうか?

スゥーッ、と音が体に入ってくる。抵抗なく、音が染みこんでくる。

”ジャスミンガール”は、ファンの間では人気の高い曲だ。
アコースティックで演奏されることも多いこの曲は、
個人的にも気に入っている。

”空よりも高く”には、Homeという副題がつけられている。
何ともいえない感情がにじみ出ているのを感じずにはいられない。

ツアーもアルバム発表後、すぐに行われたが、
都市部のみとなり、規模の小さいものとなった。

が、その翌年、はやくも佐野さんは新作のレコーディングや
アルバム”Slow Songs”のレコーディングにとりかかっている。

しかし91年10月、佐野さんの父親が急逝したため
音楽活動をしばらくの間、休止することになるが、
数ヶ月のブランクののち、ツアーをスタートさせ、
それを機に活動を再開している。

アルバム”Time Out !”には、ポジティブなイメージは
あまり感じられない。
タイトルどおり、休息を連想させるものとなっている。

”Time Out !” 佐野元春 with The Heartland

こじんまりとした1枚です。

最後まで読んでくれてありがとう。

ここにきてくれてありがとう。

2011年6月23日木曜日

ナポレオンフィッシュと泳ぐ日 佐野元春。

 リズムやメロディにとらわれず、
溢れてくる言葉を自由に使ってみたい。

その思いにうごかされ、佐野さんは、
言葉との闘いを始めることになる。

そして、ロンドンに滞在し
実に3ヵ月を費やして制作されたこのアルバム。

『現代詞とロックとの融合』
アルバムが発表されると、そう評価されるようになる。

それが、アルバム”ナポレオンフィッシュと泳ぐ日”だ。

曲のタイトルは、ほとんどが日本語で統一されている。
新たな表現に挑戦した1枚だ。

このアルバムは、ロンドンのミュージシャンとの共同作業で
ハートランドからは、ダディ柴田(Sax)と西本明(Key)が
渡英し、参加した。

その後、西本明は、レコーディングプロデューサーの仕事に
専念するため、一時ハートランドをはなれた。

そして、全国ツアー 『ナポレオンフィッシュツアー』では
アメリカのステージデザイナーを招いて、先進的なステージを
展開し、音、照明、映像をコンピューターで制御するという
内容となった。

”約束の橋”
プラチナディスクに輝いているこの曲は
ドラマ『二十歳の約束 』の主題歌に起用されていた。
そして、”See Far Miles Tour Part1”のライブDVDに収録されている
約束の橋 ウッドストックバーション。
おそらくいまのところ、このDVDでしか聴くことが
できないのではないかと思っている。貴重な映像である。

どうしても、個人的にライブ用のアレンジの方が好きなので、
話がそちらにかたむいてしまうが、許してほしい。

”ブルーの見解”
ナポレオンフィッシュツアーでは、オリジナルとはまったく違う
アレンジで演奏されている。
東京Be-Bopのホーンがかなり効いている。
また、佐野さんのボーカルもオリジナルとは全く違っている。

”愛のシステム”
ライブでのアコースティックギター中心のアレンジもよいのだが、
ナポレオンフィッシュツアーのライブビデオに収録されている
長田進のギターソロがからんでくるとがったバージョンもすてがたい。

”雪   あぁ世界は美しい”
この曲に対するイメージやニュアンスが、ロンドンのミュージシャン
たちには、なかなかつかめなかったらしく、何テイクも録ったが
結局あきらめて、日本でハートランドとともに収録した。

ナポレオンフィッシュと泳ぐ日

佐野元春さんが、言葉とのたたかいの末、創りあげたこのアルバム。
日本語ロックの新たな世界を切り開いたといっても過言ではない。

新たな表現を追求した1枚です。

最後まで読んでくれてありがとう。

ここにきてくれてありがとう。

sweet16 佐野元春。

 91年、佐野さんのお父様が亡くなられた。

しばらくの間、音楽活動を休止することになる。

佐野さんのお父様は、会社を経営していた為
多くの問題が残されていた。

様々な問題をひとつひとつ整理し、社員の人たちとも
誠実にむきあい、対応していった。

そんな日々の中、今までの歩んできた自分の姿を
佐野元春さんはみつめていく。
『自分とは?』

92年1月、”See Far Miles Tour Part 1”をスタートさせる。
新作アルバムも持たず、いきなりのツアーだ。

それは、活動休止により、鈍ってしまった感覚を取り戻すためだった。

ライブを通じ、ファンとの交流のなかで少しでも感覚を甦らせたい。
そう願っていた。

全国をめぐる。

各地で多くのファンたちが、あたたかく迎え入れてくれた。
多くの人たちが待っていてくれた。
そして、やる気にさせてくれた。

ツアー後、レコーディングを行った。

sweet16

”また明日”
ニュース23のエンディングテーマに起用される。
矢野顕子さんとのデュエット曲でもある。

”エイジアンフラワーズ”では、
ヨーコオノ、ショーンレノンをゲストに迎えている。

”誰かが君のドアを叩いている”
このシングルにオリジナルとともに収録されている
リミックスバージョンがあるのだが、
これは、このシングルでしか聴くことができない。

またこの頃、佐野さんとハートランドによるパフォーマンスは
ピークを迎えつつあった。
See Far Miles Tour Part1 & Part Ⅱでのライブパフォーマンスは
クオリティが高く、これはこのツアーの模様を収録した
ライブビデオをみていただければ、じゅうぶんに
納得していただけるだろう。

さらにアルバム”sweet16”は第34回日本レコード大賞で
優秀アルバム賞を受賞し、そしてコンピレーションアルバム”No Damage2”
とともに、ゴールドディスクにも輝いている。

アルバム”sweet16

佐野さんが、父に捧げた1枚です。

最後まで読んでくれてありがとう。

ここにきてくれてありがとう。

2011年6月20日月曜日

VISITORS 佐野元春。

 ロックンロールナイトツアーの最終日、

佐野元春は、活動を休止しニューヨークにしばらく住むことを発表する。

渡米前に発表されたベストアルバム”No Damage”は初の1位を獲得。

しかし、そんな状況のなか、佐野さんは渡米した。

New York。新しい音楽に出会う。

また、ニューヨークに来て最初の友人が亡くなるという大きな出来事もあった。 

86年発表の”Shadows Of The Street”はその友人に捧げられた曲だ。

また、80年代に入りMTVが開局。
佐野さんもそれに触発されるように、ビデオクリップを制作していく。
”TONIGHT” ”COMPLICATION SHAKEDOWN” ”NEW AGE”など。

84年5月、アルバム”VISITORS”を発表。初登場1位となる。
賛否両論あったものの、のちの日本のロックに新しい可能性を示した。

ハートランドとも1年ぶりに再会し、ツアーにむけてのリハーサルにはいる。

また、これまでギターをつとめていた伊藤銀次が
ソロとしてデビューした為、横内タケがギターとして新加入した。
そしてパーカッションに里村美和。
さらに、サックスのダディ柴田、トロンボーンのボーン助谷、
トランペットの石垣三十郎のホーンセクション、東京ビーバップを
新たに結成。バンドに加わった。

84年10月、”Visitors Tour”がはじまる。

そして翌年2月、ツアーの最中でありながら
シングル ”Young Bloods”を発表。
『85年国際青年年』キャンペーンのテーマソングとして使用された。
また、この印税をアフリカ難民救済の資金として寄付した。

85年5月、大規模となった”Visitors Tour”終了。
このツアーで佐野さんは、ヒップホップ、ファンク、ソウルなどを
徐々になじませていった。
当初、戸惑いをみせていたファンたちも最後には賞賛にかわった。

個人的にコンプリケーションシェイクダウンはすばらしいと思う。
とくにライブでのパフォーマンス。
新しいアレンジで演奏されるたび、この曲のすばらしさと奥深さを
感じずにはいられない。

VISITORS” 

とにかくおだやかじゃない、そんな1枚です。

最後まで読んでくれてありがとう。

ここにきてくれてありがとう。

2011年6月18日土曜日

SOMEDAY 佐野元春。

 今さら、どうのこうのと言うのもなんだが、

SOMEDAY” 81年に発表された佐野元春の4枚目のシングルだ。

その頃の佐野さんは、大滝詠一さんのナイアガラトライアングルに参加したり
それと並行し、サードアルバム”SOMEDAY”のレコーディング。そして、
ステージと多忙だったそうだ。

大滝さんとのレコーディングはとても勉強になったという。

82年、サードアルバム”SOMEDAY”発表。

佐野さんを代表するアルバムでありアルバムタイトル曲でもある。

ただ、聴いて欲しい。

”ダウンタウンボーイ”は81年に発表。

この時のアレンジが気に入らなかったらしく、
”SOMEDAY”収録時にアレンジを変え、録り直している。
リミックスバージョンは”Moto Singles”に収録されている。

”Happy Man”は友人たちがコーラスで参加している。楽しい曲だ。

SOMEDAY” 日本を代表するスタンダード曲のひとつである。
いまさら説明は不要だろう。

”Rock&Roll Night” スケールの大きい曲。
ただただすごい。とにかく、ただただ、きいてほしい。
独特の言葉のセンス。ライブではドラマティックなパフォーマンス。
ストーリー性に富んでいる。

また、”Rock&Roll Night Tour”も始まり全国を回る。
チケットはすべて、Sold Outとなる。

このころ、沢田研二さん、山下久美子さんなどが
佐野さんの曲をとりあげている。

また、20周年を記念してコレクターズエディションも発表されている。

ディスク1は、オリジナルをリマスターしているもの。
ディスク2は、ボーナストラック。
その中に”ワンダーランド”という曲がある。
CD化にあたってはこれが初めてだそうだ。

”マンハッタンブリッジにたたずんで”
もともとはアルバム”SOMEDAY”に収録するはずだったそうだ。
ナイアガラトライアングルVol.2に収録されているが、
これは、大滝詠一さんの希望でそうなったらしい。
もし、この曲が”SOMEDAY”に収録されていたら、
”サンチャイルドは僕の友達”は含まれていなかったらしい。

佐野さんのソングライティングやライブパフォーマンスのスタイルは
まちがいなく、のちのソングライターたちに影響をあたえている。

すばらしき1枚です。

最後まで読んでくれてありがとう。

ここにきてくれてありがとう。

2011年6月17日金曜日

Heart Beat 佐野元春。

 佐野元春のセカンドアルバム。

ファーストアルバムでアレンジャーとして参加していた伊藤銀次と
つくりあげていったアルバムである。

伊藤銀次との出会いが、その後の佐野さんにとっては大きなものとなる。

デビュー直後、TV番組”ファイティング80s”への出演が
決まったのだが、バンド自体が急きょ、よせあつめられたバンド
だったゆえ、佐野さんが納得するだけの力はなかった。

が、同番組の収録で銀次さんと再会することになる。

その後、佐野さんのバンドに銀次さんが参加することになるのだが、
当時、演奏できる場所は限られていたしライブハウスでも最初の頃は、
10人 20人ぐらいの人数しか集めることができなかったという。

しかし、セカンドアルバムのレコーディングをとおして、
彼のバンドも徐々につくりあげられていく。

のちのThe Heartlandである。

”ガラスのジェネレーション”

そんなにヒットではなかったが、ルイードでのライブは
もりあがっていたらしい。

ファンが増え、ガラスのジェネレーションをリクエスト
してくれるようになり、それがうれしかったと語っている。

”バルセロナの夜”は個人的には好きな曲のひとつです。
しかし、後で知ったのだが、
佐野さん本人はあまり好きではないらしい。
それは、当時のアレンジャーに自分の意思を全て伝えることが
できなかったから、だそうだ。

これはのちのアルバム”Slow Songs”では、サックスがカットされた
リミックスバージョンになっている。

”彼女” この曲もオールドファンにとっては、大切な曲のひとつだ。
91年にリテイクされた”彼女”も個人的にはきいてほしい。
”Slow Songs”に収録されている。

”悲しきRadio” ”Heart Beat

その後のライブにとって、大事なナンバーとなる名曲。

”悲しきRadio” ライブではクライマックスの定番ナンバーとなる。
独創的な演出もすばらしいと思う。
ホーンセクション主体の10分を超えるハートランドの演奏は
まさに圧巻である。

Heart Beat” 夜の街での若者をテーマにロマンスをうたっている。
心に染みるバラードだ。
聴くたびに思うのだが、どうしてあんな詩が書けるのか
不思議でしょうがない。聴くたびにうなってしまう。
ライブでの演奏もすばらしいと思う。
佐野さんがハーモニカを吹くバージョンもあるのだが、
個人的には、93年 See Far Miles Tour PartⅡ 横浜アリーナでの
ライブバージョンがすごすぎる。 (The Golden Ring収録)
ギターで始まるイントロがかっこいい。

う〜〜〜〜ん。このアレンジはすごすぎる。
それ以外に言いようがない。
何年たっても古さを感じさせない。
この曲の魅力はこの先も色あせないと思う。

数々の名曲が入ったこのセカンドアルバム、”Heart Beat”。
オールドファンならNo.1にあげる人も少なくないだろう。

魅力がある1枚です。

最後まで読んでくれてありがとう。

ここにきてくれてありがとう。

2011年6月15日水曜日

Back To The Street 佐野元春。

 1980年に発表された記念すべき佐野元春のファーストアルバム。

Back To The Street

”夜のスウィンガー”

耳にした当時、あまりにも斬新すぎると思った。

マシンガンのごとく連射される言葉。
まるで洪水のようにあふれてくる言葉。

とにかく、すごいとしか思えなかった。
なにかを超えているとも思った。

早口な日本語の表現。あの当時、全てが桁外れであり
表現、手法も画期的なものだったはずだ。

”アンジェリーナ”

佐野さんの記念すべきデビュー曲である。

この曲は86年にスローバージョンが発表され
『ストレンジデイズ』のB面に収録されている。

”情けない週末”

なんでこういう言葉がでてくるんだろう。
もう、ただただ 不思議としか思えなかった。

”みんな雨に打たれてりゃいい。”  ”生活といううすのろ。”

”Do What You Like” (勝手にしなよ)

個人的にもこんな曲は聴いたことがなかった。
この曲は、のちのライブでは、ビッグバンドJazz風のアレンジで
演奏されたりもしている。

佐野さんは78年この曲で、ヤマハ主催のポピュラーソングコンテストで
優秀曲賞を受賞している。

そして翌年の79年、当時のEPICソニーのディレクターが数年前に
録音されたデモテープをぐうぜん耳にしたそうだ。
”Do What You Like”と”情けない週末” を聴いたらしい。

デビューへむかっていくきっかけとなる。

”情けない週末”と”バッドガール”は、のちのアルバム”Slow Songs”で
フルオーケストラバージョンで新録音されている。

これには、否定的な意見をもっている人たちもいるだろうが、
ひとつの試みとしては ”あり” でもいいと個人的に思う。

また、佐野さんいわく、
言葉に関していえば、いろいろな試みをしてみたかったそうだ。
独自の表現方法を探っていたのだろう。

佐野元春のデビューアルバム! ”Back To The Street”

当時チャートを席巻することはなかったし、
デビューシングルである”アンジェリーナ”も同様だったそうだ。

しかし、今までの日本ではみられなかった独創的で斬新な言葉と音は、
新しい風を起こし、
常に新しい音楽を求める者たちを徐々にとりこんでいった。

デビューアルバム ”Back To The Street

ガムシャラな1枚です。

最後まで読んでくれてありがとう。

ここにきてくれてありがとう。

Cafe Bohemia 佐野元春 with The Heartland

 ぼくが、初めて佐野元春の音楽と出会ったのは、
Cafe Bohemiaというアルバムだった。

その数年前、ブリティッシュロックのはやりからの延長で
アメリカのロック、ポップスなども聞くようになっていた。

日本では、J-POPなどという言葉は、
まだ存在すらしていなかった。

そんな中、友人から佐野元春の話を聞いた。

聞いた瞬間、とにかくひきこまれた。ものすごい新鮮にも思えた。

新しい音楽に出会えた気がした。

佐野元春 with The Heartland"

このアルバムはハートランドが全面的に演奏した初のアルバム
だということは、だいぶ後になって知った。

最初のカフェボヘミア(Introduction)からのワイルドハーツへの
始まりが、まず好きだった。

ワイルドハーツはライブ用のアレンジがいい。
佐野さんとダディ柴田さんのサックスのやりとりがたのしい。
なかでも、”See Far Miles Tour Part1”に収録されている
ライブでのパフォーマンスが個人的にはたまらなくいい。

そして、ヤングブラッズ、インディビジュアリストで
決定的にやられてしまった。
ヤングブラッズは、佐野さんにとって初のトップ10ヒットとなった。
あの当時、自分のキャリアのなかでいちばん嬉しい事だった。と語っている。
のちのライブではピアノのひきがたりバージョンもひろうしている。

また、クリスマスタイムインブルーもヒットしている。
この曲は、かねてからファンとの約束の曲だったそうだ。

1986年5月には個人レーベルM'sファクトリーが発足。
第1弾としてストレンジデイズ、その後シーズンインザサン、
ワイルドハーツへとつづいた。

ストレンジデイズは94年4月、日本武道館で演奏された
ライブバージョンが個人的に好きだ。 (The Golden Ring 収録。)
アレンジが大幅にかえられており、オリジナルとは印象が違う曲になっている。

アルバムCafe Bohemiaはこれらのシングルを含んでいる。

Cafe Bohemia。あったまる1枚です。