2014年3月15日土曜日

DURAN DURAN 83〜85

 はじめて聴いたのは、3rdアルバム"Seven & The Ragged Tiger"だった。

気がつけば、その後もオリジナルアルバムやコンピレーションアルバム
ライブアルバムなど、ちょいちょい買っている。

しかし、実はあまり本気で聴いたことがない。

ザックリとしか聴いたことがない。

そして、昔から何だかんだといいながらミュージシャンの出入りを
くりかえしてきているが、解散はしていない。

思えば、彼らは3rdアルバムをリリース後、その翌年シングルカットされた
"The Reflex"が、全米・全英でNO.1を獲得。

そして、84年・85年あたりは絶頂期だったと思われる。

その後、グループは二組に分かれ別プロジェクトをそれぞれが始動させる。

85年、ジョンテイラーとアンディテイラーは、ロバートパーマー
トニートンプソンらとともに"The Power Station"として活動している。

95年か96年に再結成しているが、その時のベーシストは
別の人物がつとめているようだ。

同じくして、サイモン・ル・ボン、ニックローズ、ロジャーテイラーらは
"Arcadia"として活動している。

スティングや土屋昌巳らのゲスト陣の豪華さは、話題を呼んだ。

"So Red The Rose"というアルバムを1枚のこしている。

このプロジェクト活動後、アンディとロジャーはDURAN DURANを脱退している。

しかし、それぞれのプロジェクト活動の影響は、メンバー5人にとって
予想以上に大きいものをもたらしたのだった。

アンディとロジャーの脱退。

前置きとして個人的な意見とするが、
別々に活動することで、クリエーターとしても、また一個人としても
多くの刺激やイマジネーションなどを得たところもあったのだろうが
それゆえに、それぞれの音楽に対する方向性の違いが明確化してきたことが
メンバー間に意識のズレを生み、これから先の活動を見据えた時に
大きな迷いを招き、最終的にアンディとロジャーが『脱退』という形に
なったのではないか。

ロジャーは、実家にもどって農業に専念するため。という話も
聞いたことがあったのだが・・・・・

くりかえすが、あくまで個人的な意見である。

デュランデュランは、86年からル・ボン、ニック、ジョンの3人で
活動していくことになるのだが・・・・・

この後の話だが、このグループもくわしく書き進めていくと
話が長くなってしまうので、今回はこのへんでやめることにする。

つづきはまたの機会に。

ではまた。

最後まで読んでくれてありがとう。

ここにきてくれてありがとう。

2014年3月12日水曜日

OLDER / GEORGE MICHAEL

 96年、3rdアルバム『OLDER』発表。

このアルバムをみつけた時、正直ホッとした・・・・・ような気がした。

90年に2ndアルバム『LISTEN WITHOUT PREJUDICE VOL.1』
の発表をさかいに何の音沙汰もなく、そして多少ゴタゴタしている
とも何かで聞いていた。

そのゴタゴタとは、おそらく2ndアルバムの商業的な問題が
発端となったのではないか?

所属しているレコード会社との関係の悪化。

CBSの経営が、日本のソニーに移ってから両者の関係は悪化する。

彼の言い分はこうだ。

自分をアーティストと認めず、お金を生み出すための、商品を生み出すための
ただそれだけのための『物』としか捉えていない・・・・・と。

しかし、ソニー側は、経営権が移る以前からの契約関係を継続している。

つまり、規定通りに作品の制作を求める権利を持っている。

なんの歩み寄りもないまま、和解などのさわぎではなくなった。

ジョージは、ソニーへの提訴は認められず、移籍希望も認められなかった。
これによって、音楽活動から離れていくことになる。

思えば彼、ジョージマイケルとしての1stソロアルバム『FAITH』は
全米で年間NO.1アルバムとなり、グラミーでも賞をとり
大成功をおさめている。

2ndアルバム『LISTEN WITHOUT PREJUDICE VOL.1』は
じゅうぶんな内容であったと思うし、個人的には好きなんだが
商業的にはよくなかった?らしい。

そこの部分のおりあいが難しいのだろう。

創作問題と商業的な数字。

アーティスト側とレコード会社側
この両者のまさつは、時として避けられないだろう。

しかし、手を差しのべてくれた人物がいた。

スティーブンスピルバーグだ。

彼は、ジェフリーカッツェンバーグ、デビッドゲフィンらと
新会社を立ち上げていた。
そして、その新会社『ドリームワークスSKG』が仲介に入ってくれたのだ。

彼らは、ソニーに対しての違約金などを負担してくれたのだった。

そして、北米ではSKG、それ以外の各国ではヴァージンレコーズに
移籍も認められた。

また、裁判費用などもレコード会社の協力により解決した。

こうしてジョージは、再び創作の場へと戻って来ることができたのだった。

彼の3rdアルバム『オールダー』。

何曲かピックアップしたい。

『JESUS TO A CHILD』そして『OLDER

両方ともバラードなのだが、
ジョージマイケルのボーカルが生み出す深い世界を感じてほしい。
やはり、彼のボーカルはすばらしい。

『IT DOESN'T REALLY MATTER』

なにげに歌ってる・・・・・ような感じ。
このスタイルは新しく思えた。

『MOVE ON』

ジャズ風の曲。
ここでもあらためてジョージのボーカリストとしての技量のすばらしさを感じる。
なんでこんなにハマるんだろう。

『FREE』

当時の彼の心境にちがいない、と個人的には思っている。
"feels good to be free"
この言葉で、アルバムを締めくくっている。

GEORGE MICHAEL  /  OLDER

濃厚な1枚です。

またジョージは、今月にニューアルバムをリリースするそうです。

タイトルは『SYMPHONICA』(シンフォニカ

楽しみです。

最後まで読んでくれてありがとう。

ここにきてくれてありがとう。

2014年3月5日水曜日

White Feathers / kaja goo goo

 kaja goo goo    White Feathers

はっきり言ってファンだった。

のちにCDに買いかえたのは覚えていたので、久しぶりに聴いてみた。

初めて聴いたのは中学生の時だった。

当時、流行っていたエレクトリックな音が気に入ったのだろう。
すぐに好きになり、テープがすり切れるまで聴いた。
(当時は、友人に頼んでカセットテープに録ってもらった。)

しかし、その後リマール脱退の話を知り
かなりのショックを受けたのを覚えている。


あの当時は、アメリカのロック、ポップスよりも
ブリティッシュロックの方が勢いがあり、その流行りの影響をもろに受けていて
デュランデュラン、カルチャークラブ、ワム!などを聴いていた。

カジャグーグーもそのながれで聴いていた。

"TOO SHY"が、デビュー曲にして全英ナンバーワンになり
その後、アメリカのビルボードのチャートでも5位を記録した。

しかし、アメリカでは、ここで終わることになる。

ファーストアルバム、"White Feathers"からは、その他にも
"Hang On Now"などがシングルカットされるが
"TOO SHY"を超えることはなかった。

また、リマール脱退といえば、
理由として”音楽性の違い”ということで、なにかの雑誌で読んだことがあった。

しかし、実はリマールが、作詞・作曲に関することも含めてギャラ配当の件で
かなりの額を要求したことが発端となり、その要求に対して否定的な人たちが多く
人間関係において混乱を招いてしまった。

それが、リマールと他のメンバー、マネージャーらとの間でみぞとなってしまう。
そのことが原因となり、リマールはクビになった。

これが本当の理由であろう。

その後、カジャグーグーは4人で、リマールはソロとして
別々の活動となっていくわけだが・・・・・

さらにその後、カジャグーグーは85年にドラムスのジェズが脱退。
3人になり活動するも同年、年末に解散となってしまう。
・・・・・が、・・・・・・・・・・・・・・・

2003年にアメリカのテレビ番組企画で、1日限りの再結成ライブを
ロンドンで行っている。・・・・・その後は、・・・・・・・・・・・

その後の話もしっかりとあるのだが、いろいろと長くなるので
今回は、このへんでやめておこう。

つづきは、またいつかのときに。

気がむいたら、また書きます。

kaja goo goo     White Feathers

想い出の1枚です。

ではまた。

最後まで読んでくれてありがとう。

ここにきてくれてありがとう。